なぜ人を殺してはいけないのか

なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために
新しい倫理学のために
2000/洋泉社 小浜逸郎



「なぜ人を殺してはいけないのか?」というこの衝撃的な問いは,オウム真理教による地下鉄サリン事件,神戸の少年A「酒鬼薔薇事件」などをきっかけにわき起こった若者と大人達との中で発せられたものである.
そしてそれは「ブーム」となり,この問いに必死に答えようと大人達は,あれこれ言い合った.

この本は,その問いそのものよりも,そう問われてあわてふためく大人達の姿をみて,そうじゃないだろう,まずその「問い」そのものを疑わないといけないだろうと「問いかけ」,模索したものである.

本書には様々な問いが展開されている.
・人は何のために生きるのか
・自殺は許されない行為か
・「私」とは何か,「自分」とは何か
・人を愛するとはどういうことか
・不倫は許されない行為か
・売春(買春)は悪か
・他人に迷惑をかけなければ何をやってもよいのか
・なぜ人を殺してはいけないのか
・死刑は廃止すべきか
・戦争責任をどう負うべきか

大切なのは「問いそのものを見つめ直すこと」.「問い」を公理のものとして,疑いの目を向けず,それに答えることが誠実な態度だとして,真面目に取り組んではいけない.
答えを出せないことを受け止め,なぜ答えがでないのかを考え,その果てに「問い」そのものに疑いの目を向けられるようにしよう.著者はそう説き続けながら,それぞれの「問い」の背景,動機,そしてあるべき問い方を模索していく.

こういう問いは,人との関係性の中で産まれてくる.
人は社会生活を営む動物である.だからどうしても人間相互間の秩序の確定のために,他者の振るまいと自分の受け止め方,他者にとっての自分の表現の伝播の仕方のメカニズムを組織化し,道徳感情を組み上げていかずにはいられられないものである.
絶えず不安定な人間の感情に安定を与えるために,そうして組み上げられた「道徳性」を保持させる.そうやって関係性に悩む人々に「道徳性」を保持することの必要性を訴えるもの,それが「倫理」となる.そう著者は説く.


全般的に著者の主張は受け入れられるものではあるが,ただ問いを見つめ直す過程に,著者の決めつけのようなものが感じられ「おやっ」という猜疑心が産まれる部分が時折見られる.また,「人は~するものである」とか「~というような人がときおりいるが・・・」というように著者を高みに置いて,やや目線を下げるように説く場面があり,嫌悪感を感じてしまうところが多々ある.



学生の頃,あまり深い意味もわからずに本を読み・学んだ「道徳」「倫理」ではありますが,大人になったある時期にもう一度読み直すとその道理・意義を深く理解することができるということがよくわかりました.

ともすれば大人は自らの経験を唯一の尺度として,独善的に「倫理」「道徳」を説きがちです.

そんな独白は頼りないもの.それよりもこの手の本を一度きちんと読んだうえで,自らの経験だけに寄らない,社会の中におけるその道理を学んでおく必要があると感じました.



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのトラックバック